中飛車研究所(将棋)掲示板
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「列伝」にも書いてあるのですが、時代時代の棋界の中心というか重鎮に該当する人の哲学が将棋の戦法の流行り廃れに強い影響を及ぼしているようです。No.0561で触れたように郷田九段が心酔する天野宗歩の「振り飛車退治」が振り飛車に手を焼いていた居飛車党を安心させたと思います。また「振り飛車は消極戦法、一手損は棋理に反す」のような思想がプロ棋界を席巻したことで、振り飛車はいつの間にか傍流に追いやられました。 長い長い江戸時代が終わり、明治に時代が変わっても居飛車の正統性を支持する人が将棋大成会(現在の将棋連盟の前身)が本拠にする東京に多かったこともこの傾向に拍車をかけました。歴史的に「名人」は現在でこそタイトルの一つですが、明治当時はまだ最上称号で、○世名人が死ぬまで次の人は名人になれなかったのです。第13世名人は関根金次郎ですが、彼が世襲制(?)を返上したお陰で棋界が動き出します。 しかしこの13世名人も居飛車党、振り飛車はプロ間では絶滅危惧種状態でしたが、大坂は違いました。「東京なにするものぞ」の反骨精神が振り飛車の火を大事に守り続けていたのです。ヘボはもうすぐ還暦で、七冠よりも棋歴(だけ)は長い(苦笑)。この間半世紀、途中サボっている時期は確かにありましたが、時々の名人をはじめとする実力者トップが採用する(しかも勝つ)ことで戦法が流行する傾向は感じられました。ヘボが将棋を覚えたのが1972年、この年の名人戦で18期を数えた大山康晴が中原誠にその地位を追われることになりました。しかし、それまでの大山の活躍、同じ木見門下の大野源一・升田幸三が積極的に振り飛車を採用し好成績を上げていたことから、振り飛車ブームが「アマ」棋界で巻き起こったのでした。 ところが、あろうことかプロ棋界の方が狭量な思想で、相変わらず振り飛車党は少数派で、全体的な勢力逆転には至りませんでした。これは不利飛車党としては大変残念なことです。そして現在の棋界トップはガチガチの居飛車党、世の振り飛車党は肩身の狭い思いをしているかもしれません。ヘボも忸怩たる思いです。いつかAIをも凌駕する天才振り飛車党員がタイトル独占する夢を実現して欲しいものです。(^_^)
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