中飛車研究所(将棋)掲示板
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という訳で「振り飛車党列伝」を資料に、No.0556で触れた疑問の答え合わせをしていきましょう。 まず江戸時代(ホントに関ケ原の合戦直後)から将棋のプロが出現し、残存する最古の棋譜は何と対抗形だそうです。右四間vs四間で対局者は大橋宗桂と本因坊算砂。ご存じの方もおいでかもしれません。前者は将棋家の開祖、後者は囲碁家の開祖です。ほぼ組み上がりの図面、後手の振り飛車は▽6二銀の早囲いです。因みに今風に言うと将棋・囲碁の二刀流は珍しくなかったようです。 その後、将棋と囲碁は袂を分かちお互い我が道を行くことになりました。意外なことに、江戸の中期(1700年代)までの平手の将棋で、相矢倉などは僅か、対抗形が多く、駒落ち(香落ち)の上手は振り飛車必定。美濃囲いどころか相居飛車戦において左美濃も登場します。ところが振り飛車美濃囲いは大分遅れて1800年代に漸く指されることになります。それまでは対抗形持久戦における振り飛車陣は流れ矢倉のような感じで居飛車の攻めを待っての反撃でした。却って居飛車側に銀冠が出てきたりして、これでは厚みで勝てません。香落ちで美濃囲いが登場しているのに何とも不思議な話です。 さて、1821年に待望の振り飛車美濃囲いが登場し、指す人も増えてきますが、「棋聖」天野宗歩が振り飛車退治の(当時の)決定版を著し、相掛かりのブームが到来したことと相まって、「振り飛車は気合の悪いダメ戦法」の烙印が押されました。どうもこの辺りの経緯が答えになりそうですね。ヘボは相掛かりはひねり飛車しか知りませんが、多くの人は攻め好き(現代もそうですね)。消極的な戦法として敬遠されたようです。(続く)
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