中飛車研究所(将棋)掲示板
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北海道は広いんです。いや、ホント。ヘボが住人になる遥か前から道内でも将棋愛好者は大勢いた訳で、大体「市」のレベルであれば道場があったようです。その中で当時道場が「会館・センター・倶楽部」と3つもあった函館に赴任できたのは幸いでした。 前年は美瑛でしたから旭川の道場。しかし1年で転勤、函館の住人になりました。函館は将棋史に残るプロ棋士を何人か輩出しています。ヘボの知識では、二上達也、佐藤大五郎、北村昌男が三巨頭ですかね(今では全員故人)。二上九段は実際にお目に掛かったことがあります。「大山さんにヒドい目に遭った」と講演会でもこぼしておられました。あちらの世界ではどうでしょうね?佐藤大九段。「薪割り大五郎」の異名で、A級&タイトル挑戦(王位戦)なので、まあ一流棋士ですよね。ググれば出てくると思いますが、色々な逸話の持ち主です。北村九段。棋才は素晴らしかったようですが、結局A級には上がれず、興味関心が盤の外に向かってしまったことがアダとなったようです。S九段とつるんでいたことが足を引っ張ったかな? そんな函館です(どんな?)。私が住んでいた所から道場は3つとも(無理すれば)歩いて行ける距離にありました。まあ、大体は市電ですね。路面電車は趣があり、観光客に人気でした。ヘボが最も熱心だったのが「将棋会館」で畳屋の二階にありました。席主の先生が温厚な方で、開館前の30分、ほぼ毎回指導してくれました。先生は居飛車党で、何でも指されましたが、急戦に比重が置かれ、居飛穴は余り上手くなかった印象です。ヘボにとって、褒めて伸ばす素晴らしい先生でした。時計を使った記憶は大会の時のみで、幾らでも考えられました。でも持ち時間無制限というのも難しいものです。相手は同じ人が多かったですが、たまに強い人が現れて、盤を挟むことでその時々の自分の力を測っていました。当時、棋譜並べも始めていましたが、「必勝!四間飛車」の内容とヘボが実際に指す不利飛車とのギャップに溜息どころか半ば諦めの苦笑いが起こる毎日でした。それでも継続が大事です。 道場に通い始めて5年。2009年の晩秋に初めて全道大会の予選に出場しました。先記の席主(先生)の方に、「そろそろ大会に出てみましょうか?」と言われ、小さな大会にはポツポツ出場していましたが、気合いが入りました。「自由民主党杯」です。予選はホームの会館で行われ、その日は溢れるばかりの人で埋まりました。全員ライバルです!ヘボは「無段の部」に出場しました。 先生からルール説明があり、模造紙に書かれたトーナメント表に沿って進んでいきます。時計の使い方すらままならないヘボでしたが、その日は棋運が向いていたのでしょう。終わって知ったことですが、強い人が反対側の山に集まったことも幸いし、手応えを感じないままにブロック決勝まで進みました。これに勝てば札幌行きです(笑)。戦いは相振り飛車になりました。ヘボが先手で、相手は矢倉に構えました。ヘボはどうでしたかね?当時から金無双が嫌いだったので出だしは美濃だったと思いますが、上手く玉頭に厚みを築けて指し易くなりました。今でもそうですけど優勢になると手が見えなくなります。15分の持ち時間は使いきり、一手30秒の世界。どうやって切り抜けたのか記憶に無いですが、最後に敵玉の横腹に飛を打ち付けて終わりました。「ああ、勝ったんだ」と我に返るヘボ。何だか報われた気がしましたね。
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