中飛車研究所(将棋)掲示板
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十年前私が住んでいた函館のご出身でした(因みに函館市内は当時3つの将棋道場があり、二上達也や佐藤大五郎と有名処の出身地でもあります)。思い返すと、私が手にした最初の棋書が九段が七段時代に書かれた入門書(大山康晴監修)で、薄情にもそれ以来九段のお名前は正直忘却の彼方でした。 再び九段のお名前を拝見したのは「大山康晴の晩節」(by河口俊彦)でした。「夭折した天才棋士、山田道美」の章において、芹澤博文とともに「山田とともに強いが、世渡り上手」な奨励会員として描かれていました。スポットは芹澤に当てられていたので、北村昌男が本当に山田と敵対していたのか、判然としませんでしたが、結局九段はA級に上がることなく引退しました。居飛車党であったこともあり、残念ながら私にとっても興味や応援の対象とはなりませんでした。 詳しくは、「晩節」を読んで頂くとして、私が感じたことは、結局「良い意味で鈍感である人」「四六時中将棋のことを考えられる集中力を持つ人」が天下を取るのだなあ、ということです。坊やを見ていれば分かりますよね。九段は芹澤九段とともに生きるのに器用な人であったようです。私にとってはご高著に接する機会があったことで今も将棋を続けているとも言えます。お世話になりました。
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